2010年4月アーカイブ

前回ブログで『ウサギとカメ』の話しを上げさせて頂いた。

以下前回ブログ引用
---------------------------------------------------------------
皆さんはどう考えるだろうか?長い人生を考えると「失敗」にぶつかったときの対処法をクリアにしている方が持久力が芽生えるし、人間力もアップすると私は考える。イソップ寓話に出てくる「ウサギとカメ」の例を考えると想像しやすいであろう。
---------------------------------------------------------------

実はこの話の解釈には続きがある。

この話のあらすじはWikipediaによると以下である。

以下Wikipedia引用
---------------------------------------------------------------
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
---------------------------------------------------------------

usagitokame2.jpg
単純にカメのようになればよいというだけではやや浅い。

真の解釈は『彼らは何処を見ていたのか?』ということである。
足が速く自信過剰のウサギは、自分より遅いカメ(=他人)ばかりみていた。カメばかり気にした結果、余裕と奢りが生じ、結果惨敗に終わる。人間に例えると『周囲の人の評価や、年収、地位ばかり気にするあまり、失敗に陥る』という教訓とも言える。

一方でカメは何処を見ていたか?答えは『自分』である。カメが勝負に挑んだのはあくまでウサギに馬鹿にされたことがきっかけではあったが、いざ勝負に入るとウサギ(=他人)を気にしていたわけでは決してない。自分自身を見ていたからこそ勝利があったと思う。戦うべきは自分自身であり、自分が決めたゴールや目標に向かって挑んだ勝負だったからこそ、結果としてウサギに勝利したという訳である。

人は皆、周りのことが気になるし、周りから自分がどう見られているのかを一つの評価として考える傾向である。当然ながら社会に出ると必要最低限のスキルとも言える。しかしこれにとらわれ過ぎるとウサギのような結果に陥りやすい。長い人生を考えると失敗もあるし、挫折することもある。それら全てを自分なんだとと受け入れる事が重要だと思う。自分を創るのはあくまで自分であり、他人ではない。ここを強く意識すれば飛躍的に人間力に磨きがかかってくると考える。

これはあくまで私なりの解釈である。

子供向けの寓話や絵本は実は奥が深い。当社スクール事業で行う、「現役アナウンサーによる話し方」で以前子供向けの読み聞かせ講座をやった時にも先生なりの切り口で「ぐりとぐら」に関する解釈のご説明を頂いたが、これまたとても納得する見解があった。当スクールでは外見は勿論、内面磨きの強化に講師や事務局は真剣に取り組んでいる。実際に生徒の方から感謝のメッセージを頂けることがとても多くなってきた。毎週のようにメディアに取り上げられ、多くの生徒さんにご入会頂けているのには、これからさらに自分らしさを見つけ、磨きかかった女性を輩出していきたい、そんな想いがスタッフ一同強くあるからだと考えている。

興味のある方は是非体験予約を!


『熱血法人 バズー』
熱血社長 森下洋次郎

仕事をしていると細かいことで「いい仕事が出来たな」とか「これは失敗したな」等と思うことは皆さんも良くあるのではなかろうか?
私も毎日その繰り返しである。

「成功」を目指すのは良いことだし、さらにそれを勝ち得ることは実にすばらしい。常に勝ち続ける人生なんて最高だと思う。私の周りにはあまりいないが、世界中探せばどこかにそんな人もいることであろう。事実競争の激しい外資金融のフロントに立つ人なんかは過酷な競争に勝ち抜いただけに自信に充ち溢れている方が多い。だけど多くが凡人である人間の習性を鑑みた場合、人は必ずどこかで「失敗」の経験をする。

「失敗」は悔しいし、誰しもが二度と経験したくないことであろう。当の私も願わくばいつも「成功」していたい。ところが人生はそう甘くはない。節々に「失敗」の経験を経てしまうのが人間の常であると思うが、そこから何を学べるかを考えた方が賢明と言える。

よく私が社員に話すのは、「成功した時は誰でも皆いい。(=放っておいても勝手に良い状態になる)、大事なのは失敗した時にどう振舞えるかだよね」と。これには実は深い意味がある。成功した時の人の行動パターンは均一的であるのに対し、「失敗」をした時の行動パターンは実に多種多様である。

個人的には失敗こそ最たる人生の教科書だと思っている。そこから得る学びが大きければ成長速度は加速度的に増してくるからだ。

私がいろんな方とお付き合いさせて頂いて、経験則から『小さな頃から失敗に対する正しい教育を受けた人間は強い』と言える。例えばサッカーを習う子供がいたとしよう。その子供はサッカーが大好きなのに、決して上手くはない。それゆえに一生懸命ドリブルをしても直ぐにボールを取られて悔しい想いをしてしまう。挙句の果てには「もうサッカーなんてやりたくない」と言いだす子供に対して、親がその子供を見て声を掛けるパターンが2通りあったとしよう。

パターンA「次郎!負けて悔しいだろう、みっともない。絶対に勝つ為にどうすればいいかを考えなさい!」

パターンB「次郎!今日もボール取られて悔しかったんだね。良かったじゃない。悔しい想いをしたなんていい経験だし、なかなか味わえない想いが出来たんだね。次にどうすればいいかを一緒に考えようよ」

パターンAは熱血教育によくありがちなパターンである。英才教育を受ける子供の場合、こういった教育に支えられるケースが多いとも言える。漫画に出てくる「星飛雄馬」などがその典型と言える。しかしながらこの教育で育ってきた人は往々にして失敗した時のリバウンドが大きいとも言える。勝ち続けることを使命として捉えるが故に、そうでないパターンの対処方法が未知の世界となってしまうからだ。中には突然訪れる失敗から道を外してしまう人すらいるんではなかろうか。

一方でパターンBはどうだろう。失敗経験を貴重な体験として捉える教育がされて、その悔しさに対して再度顧みる教育がされている。子供はそう言われると自分自身で失敗が嫌でもうやりたくない、だから次に失敗しない為にはどうすればよいかを自発的に考えるようになる。また、失敗した時にどうすれば良いかの行動パターンが頭にインプットされている為、そういうことがあっても淡々と対処出来るようになる。

皆さんはどう考えるだろうか?長い人生を考えると「失敗」にぶつかったときの対処法をクリアにしている方が持久力が芽生えるし、人間力もアップすると私は考える。イソップ寓話に出てくる「ウサギとカメ」の例を考えると想像しやすいであろう。


さて、「成功」と「失敗」からどう対処していくかについて述べたが、もう少し本質の議論をしたいと思う。


そもそも何の為に「成功」や「失敗」の経験をするのだろう?

私はそもそも、人は決して「成功する為に生きてるのでは無い」と思っている。つまり、「成功」がそもそもの目指すべき最終地点ではなく、その先にある何かを目指していると言う方がただしいのではなかろうか。

例えば自分の人生をピラミッドのように考えてみると良い。ピラミッドは砂や石で出来ている。大きなピラミッドを作るには確固たる土台が必要となり、土台が大きく確実なものであればあるほど、大きなピラミッドが作られる。土台が脆弱な状態で作ろうとしても簡単に崩れてしまうし、結果として小さなピラミッドに収まりがちである。

つまり、ここでいう土台を築くプロセスの結果として「成功」や「失敗」体験があると考える方が正しい。

私の場合、先般のブログで紹介した通り、『生きる力を身につける』ことを最大の目標として取り組んでいる。つまりピラミッド論で言うと、私の言う所の大きなピラミッドは「強い生き力をつけた最たる状態にしていること」と言える。成功や失敗というのはあくまでその目指すプロセスの表面的な結果に過ぎない。だからそれらの事象に極力一喜一憂しないように意識的に取り組むようにしている。

当然人間だから失敗した時には「ちきしょう~」と思ったり、成功した時には一人でニヤついてみたりとすることがあるが、そうやって得た結果に対して、どう考え、次にどう取り組むかの方が重要。その工程をパターン化しながら、自分自身どんなピラミッドを作ろうとしているかを考えた方がすることで「生き力」を強化するようにしている。

不況不況と叫ばれて久しいが、これらもピラミッド創りの一つの工程として捉えるべき。ピラミッドを創り上げる道に終わりはない。自分が死ぬまで続けるものなのだから一つ一つの成功・失敗体験に留まることなく、それらを通じて、最終的なピラミッド創りに皆が励めば自ずと良くなるのではないかと思う。


『熱血法人バズー』
熱血社長 森下洋次郎