何故、慶應幼稚舎やハーバードMBAに成功者が魅了されるのか?

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国内で所謂成功者と呼ばれる人々は慶應幼稚舎やハーバードMBAの卒業生であるケースが多い。また自身に子どもがいる場合は皆こういう教育機関に入る為に躍起になる現象が特に都内の富裕層を中心として起きている。慶應幼稚舎に至っては現在では倍率20倍とも言われ、セレブの中でも狭き門であることは専ら有名な話である。またハーバードMBAに至っては世界に経営大学院は数あれども「アメリカの大企業500位までの最高経営責任者の半分はハーバードMBAを持っている」と言われる程の人気と実績を誇っている実社会に大きな影響力を持っている学術機関である。マスコミの歪んだ報道により一部ではお受験やら歪んだエリート像のように揶揄されているようでもあるが、果たしてその言葉は本当に実態を映し出した正しい姿と言えるのであろうか?

一般的にはこれらの学校を卒業すればいい進路や就職先が保証される為と考えられがちではあるが、これらはあくまで見せかけにすぎない。かの教育機関の本質はまさに、「世界レベルで一流のリーダーを作ること、世界で通用する強い個性を育てること」にあると言える。

少し視点を変えた話をしよう。

これからの日本社会は皆さんご存知の通り、世界を牽引してきた日本社会の姿は垣間見れなくなるであろう。世界No1のGDPを誇るアメリカは現時点で日本は約3倍の差をつけられているが、これが30年先には6倍の差になってしまう。また2010年度に日本を追い抜かしたと言われている中国に至っては30年先には日本の10倍の国家に変貌するとまで言われている。この事実に加えこれからの日本社会には高齢化問題により、生産労働層の社会保障負担増が重くのしかかってしまう為、どんなポジティブな専門家にも明るい未来は到底見出せないというのが妥当な意見と言える。30年後にはメイドインジャパンと謳われ続けてきた先進国日本の姿は跡かたも無く消え去ってしまうというのにはそのような理屈がある。

こういった時代になってしまったものだから従来の偏差値教育に起因した「いい学校に入ること⇒いい就職が決まること⇒イイ生活が送れること」の三拍子はもはや通用しない。つまり一般的に知名度のある教育機関に入ることに躍起になった所で先々の人生が保証されることは皆無に近いと言う訳である。事実私が卒業したかつて名門と呼ばれた鹿児島ラ・サール学園には優秀な学生は多いものの、未だにフリーターの者や非正規雇用者(つまり契約社員)として生活する者も少なからず存在する。母校の名誉のために補足しておくと一般水準から比べると確かに活躍するものは確率で言うと多い方だと思うが、かつて名門と騒がれた時代に想像した未来と比べると卒業後に突き付けられた現実とは大きなギャップがあると言わざるを得ない。偏差値教育がもたらす結果が社会のニーズに答えられなかった姿を私は目の当たりにすることが多い。

話を少し戻しておこう。先に述べた慶應幼稚舎やハーバードMBAに人々は何故足を運ぶのか?社会的に成功したとされる人々の御子息・御令嬢がなぜ魅了されるのか?かの教育機関では従来の偏差値教育を主目的としていない。本来の目的は生きる力を付ける為、人間を極める為、世界に通用するリーダーシップ教育に重きを置かれているからである。これらの卒業生には一般人には体験し得ないような普通に生活していると体験し得ないような経験・人脈・仲間意識があるようである。

何故、私がこんなことに気付いたか?説明しておこう。

私は慶應幼稚舎やハーバードMBA卒業者ではない。確かに先に述べた通り中高は当時灘・開成と並んで御三家と呼ばれた鹿児島の名門ラ・サールを卒業し、その後は慶應義塾大学に進学した。偏差値教育社会においては及第点と言われた無難なキャリアを卒なくこなしてきた一般人の部類だと思っている。その後は外資系コンサルティングファームに勤務した為、これまた卒なき就職に落ち着いたと言ってよい。しかしながらその後、今から遡ること6年前に始めた起業経験が私の人生を大きく変えたきっかけを作ったと考える。

この経験において私は短い人生ながら少なからず自分が境地に立たされることが多々あった。経営者なら誰でも経験があることかもしれないが、人間は瀬戸際に立たされた時、つまり生きるか死ぬかの選択を迫られた時、本質を追究するという傾向があるらしい。例えばこんなことがあった。あるプロジェクトでクライアントから多額の数十億規模の賠償請求を強いられる事件が起こった。とてもじゃなく会社にも当然ながら私にもそんな支払い能力は存在しない。天地がひっくり返るぐらいの未曾有の事件に社内も私も窮地に立たされた時、当初一緒に創業した仲間はおろか、社員の大半は私の下から去って行ったということがあった。この時に利害関係で結ばれた関係はとても薄く、それは自分の人生には何も残らない。その時に働くとは何か?仲間とは何か?こういった本質を誰よりも追究し、真剣に考えるようになった。つまり私の起業経験は常に本質を追究する為の旅のようなものであり、この旅を続けてきたことで私は生きる力を少しずつ身につけ、自分なりの真のリーダーシップ追求してきたつもりである。(まだまだ現役なのでこれからも当然努力し続けようと思っているので念のため補足。)

ところが我々日本人はそういった真のリーダーシップとなるような教育や素晴らしい仲間と本音で語り合うことの素晴らしさ等はあまり体系立てて教えられてこなかったことに気づく。強い個性や人間力は決して偶発的に起こるものでは決してない。世の中のいいものに触れたり感じたり、新しくチャレンジングな経験(時には究極の生きる力を試されるような体験も!)を通じたり、高い志を持った仲間たちとの本音のぶつかりあいの中で生まれてくるものである。例えば慶應幼稚舎における1500メートルの遠泳で仲間達と励まし合って泳ぎ抜く取り組みや、担任持ち上がり制による仲間意識の醸成など一貫教育を売りにしたユニークな制度が多数取り入れられている。つまり多くの学校で行われてきた試験の為の暗記教育からは決して学べない素晴らしい教育がこれらの学校に行けば受けられるということはこの時点で誰もがお分かりであろう。

現在私は当社への応募者の中から年間300名以上の方と面接する機会がある。そういった窮地の体験を通じて人を見る目だけには磨きがかかり、そこに関しては自分の中でも自信が持てるようになってきた。本来の仲間とは利害関係等の薄っぺらいものでは無く、自分の弱い所、恥ずかしい所、くだらないプライドを脱ぎ捨てた心叫びをし合える関係のことであると思うし、企業における同僚もまさにそうあるべきだと思う。

特に最近はそういった偏差値教育で育ってきた学生を対象にした新卒採用に積極的に力を入れているが、就職活動という未知の経験を目の前にした学生が内定欲しさに本来の自分の持っているいい所をどうしても見失いがちになってしまう現実を見て、大変残念に思っている。私が直接出会って話をさせてもらった学生には個別にアドバイスさせて頂いているが、いい会社に入るなんてことは一つの結果に過ぎず、本来追いかけるべき目的では決してない。本当に追いかけるべきは自分自身の人生を極めると言う世界でたった一人(つまり自分)にしか出来ない冒険に対して勇気を持って前に進むことではなかろうか。こういった情熱を持ち続けることが自ずと強い個性・強いリーダーシップを生み出すものだと思うし、それこそが生きる極みとも言うべき素晴らしき人生を歩む為のコツとも言えると私は考える。

こういうアンテナを張りながら生活していると自分のアンテナに引っかかる人は一概に自分が身を置くビジネスの世界だけでないことに気づく。そういった友人は政界・官僚・財界・教育・エンタメ等ジャンルは様々であるが、大きく共通している点は「世界レベルで一流のリーダーになる」「世界で通用する強い個性を作る」「人生を極める」という3点に集約される。おまけに彼等に共通して言えるのが慶應幼稚舎出身者であったり、ハーバードMBA出身者であることが実に多い。つまりかの教育機関では正にそういった高い志を抱く彼等のような人材を育成していると言えるわけである。

新卒採用という活動にチャレンジする若い学生はこれから日本を担う貴重な人財資源と言える。しかしながらそんな若者達が本質を見失い、本来の素晴らしき個性を忘れ、まるで内定の奴隷と化した彼等に対して、もっと目線高く、志を持って世界のリーダーを目指して取り組めるようなきっかけを私の経験から何か役に立てないものか?かなり漠然としたコンセプトではあるが、この想いを何かしらの形にし、また日本が戦後急激に成長して世界を席巻きさせたあの頃のように、若者が世界レベルで通用する人財になれるようなきっかけになるような取り組みが何かできればと強く考えている。


~日本発世界へ 挑戦と冒険に挑むベンチャー企業~
バズー株式会社
代表取締役 森下洋次郎

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